引き継いだはずなのに、別の不安が残っているとき

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引き継ぎは終わっている。
資料も渡した。
手順も説明した。
必要な連絡先も共有した。

それでも、引き継いだ側にも、引き継がれた側にも、何かが少し残ることがあります。

「これで本当に大丈夫だろうか」
「どこまで自分で判断してよいのだろうか」
「前の人なら、ここで何を見ていたのだろうか」

情報としては渡されている。
けれど、場の中で何を見ればよいのかまでは、まだ同じ形で立ち上がっていない。

職場や教育の場では、このような違和感が静かに残ることがあります。

引き継ぎ資料には書かれている。
けれど、その資料のどこを重く見るのか。
どこで立ち止まるのか。
どこから先を自分の判断として受け取るのか。

そこには、手順とは別の見え方があります。

前任者には自然に見えていた注意点が、後任者にはまだ背景に退いていることがあります。
後任者にとって大きく見えている不安が、前任者には小さな確認事項に見えていることもあります。

同じ引き継ぎでも、見えている世界は同じではありません。

引き継いだはずなのに不安が残るとき、そこには情報の不足だけではなく、何が前景に立ち上がるかがまだ揃っていない状態があるのかもしれません。

渡されたものと、受け取られたもの。
その間にあるわずかな揺れを観察すると、組織の中で繰り返される不安の輪郭が、そっと見えてくることがあります。
この構造は、講演で扱うテーマの一部です。

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